再構築された明治期の「家」

明治以降の日本はイエ型集団の解体プロセスをたどります。

 

廃藩置県によって大名の大イエが解体され、さらに家臣たちの小イエも解体されました。しかし、四民平等化によって、すべての国民が小規模であっても自らの小イエ組織を形成することができるようになりました。このように小規模組織を形成したイエ型組織を「疑似小イエ」と呼び、明治政府は社会の基礎的主体をこの疑似小イエに置こうとして明治民法により「家」を法制化しました。

 

明治民法が設定した「家」は、幕藩家臣団の小イエそのものではなく、ヨーロッパの個人主義的財産権や家族制度をミックスしたものであり、意図的に作られたものでした。「家」では戸主(家長)が家族に対して大きな責任と権限を持ち、家族内に家督(戸主としての身分と財産)の相続順位による階統制を作るものでした。

 

「家」の継続を保証するために、家督については一人相続主義が採用されました。明治民法の「家」は、イエ原則の中の系譜性と階統制を踏襲するものでありました。

 

つまり、全国民を対象にした制度として「家」が法制化されたのです。

 

 

 

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